2009年06月24日

ISS建設資材の大半を輸送するほか

NASAが運用中。ISS建設資材の大半を輸送するほか、7名の人員とロボットアームを搭載でき、特に建設初期段階では作業基地の役割も果たした。2010年に予定されている運行終了まで、建設資材と補給物資の輸送に使用される。人員交代にも使われるが、ソユーズ宇宙船を6箇月ごとに交換する際に人員交代も行えるため、補助的な役割にとどまっている。

日米欧の実験モジュールなど、ロシア以外の与圧モジュールはスペースシャトルで輸送される。このため、これらのモジュールは全てスペースシャトルのペイロードベイに合わせた寸法、形状、重量になっている。ただし、スペースシャトルの度重なる改良(主に安全性向上)により搭載可能な重量は計画当初より減少しているため、一部の大型モジュール(デスティニー、きぼう船内実験室)は船内機器の一部を別便で輸送せざるを得なくなった。

補給には、大きく分けて4つの方法を用いる。ひとつは、スペースシャトルの船内に補給品を搭載し、ドッキング装置を通して運搬する方法である。ドッキング装置の通路は直径60センチメートル程度と狭く、船内スペースを使用するため輸送力は小さいが、補助的に毎回使われている方法である。

2つめは、ペイロードベイにスペースハブ輸送モジュールを搭載する方法である。船内より多くの補給品を搭載できるが、やはり大きな物資は輸送できない。次のMLPMが導入されると使われなくなった。

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3つめは、ペイロードベイに多目的補給モジュール(MLPM)を搭載する方法である。MLPMはペイロードベイから取り出され、ユニティまたはハーモニーに直接結合される。サイズが大きい共通結合機構(CBM)を使うため、ISPRなど大型の機材を輸送できるほか、小型物資も広い通路を利用して効率よく搬入できる。作業終了後のMLPMはペイロードベイに戻されて持ち帰られる。(詳しくはMLPMを参照)

4つめは、ペイロードベイ内に露出した形で輸送する方法である。ISSの外部に設置するバッテリーやタンクなどの部品を交換する際には、アダプターを使用して搭載する。

ロシアが運用中の3人乗り有人宇宙船である。ISSに非常事態が起きた際の脱出用救命ボートの役割を果たしている。この用途に対しては、アメリカが乗員帰還機(X-38 CRV)を開発して置き換える計画だったが、こちらは中止された。2008年現在、ISS長期滞在は3名なので、ソユーズが常時1機備え付けられているが、将来6名に拡張されるとソユーズも2機常備されることになる。緊急時に利用しやすいよう、ISSの中央に近いザーリャ前方の地球側にドッキングするが、2機に増えた場合はさらにズヴェズダ前方も利用する。ズヴェズダの後方はISSの末端にあたるので、通常は利用しない。

2009年06月09日

米英共同で日本を含む全50カ国に招請状を発送

1951年(昭和26年)7月20日、米英共同で日本を含む全50カ国に招請状を発送「中国」に対しては代表政権についての米英の意見(中華民国か中華人民共和国か)が一致せず、日中間の講和については独立後の日本自身の選択に任せることにして招請は見送られた(1952年(昭和27年)4月28日、中華民国との間に日華平和条約を調印。1952年(昭和27年)8月5日発効)。

8月22日、フランスの要求を容れインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)にも招請状を発送。

9月4日から8日にかけて、サンフランシスコ市の中心街にあるオペラハウス(War Memorial Opera House)において全52カ国の代表が参加して講和会議が開催された。インドはネール首相が「彼ら(日本)は謝罪が必要なことなど我々には何一つしていない。それ故に、講和会議には参加しないし講和条約にも調印しない」との意思を表明し招請に応じなかった(1952年に日本とインドは日印平和条約を締結)。また、ビルマとユーゴスラビアも招請に応じなかった。

日本の全権団は首席全権の吉田茂(首相)、全権委員の池田勇人(蔵相)・苫米地義三(国民民主党最高委員長)・星島二郎(自由党常任総務)・徳川宗敬(参議院緑風会議員総会議長)・一万田尚登(日銀総裁)の6人。

9月8日、条約に49カ国が署名し講和会議は閉幕した。ソ連・ポーランド・チェコスロバキアの共産圏3国は講和会議に参加したものの、同じ共産主義国の中華人民共和国の不参加を理由に会議の無効を訴え署名しなかった。
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー

署名した国 [編集]
アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、カンボジア、カナダ、セイロン(→スリランカ)、チリ、コロンビア(※)、コスタリカ、キューバ、ドミニカ共和国、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、エチオピア、フランス、ギリシャ、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インドネシア(※)、イラン、イラク、ラオス、レバノン、リベリア、ルクセンブルク(※)、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パキスタン、パナマ、パラグアイ、ペルー、フィリピン、サウジアラビア、シリア、トルコ、南アフリカ連邦(→南アフリカ共和国)、イギリス、アメリカ合衆国、ウルグアイ、ベネズエラ、ベトナム国(→ベトナム共和国→ベトナム社会主義共和国)、日本

署名順【日本を除きABCD順に署名している】。
※は、署名はしたが批准していない国。
→は署名後、国名が変わった国。
なお講和会議に続いて日本とアメリカ合衆国の代表は、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地に場所を移して日米安全保障条約を締結した。この2つの条約をもって日本は自由主義陣営の一員として国際社会に復帰したと言える。なお日米安全保障条約には吉田首席全権のみ単独で署名した。

2009年06月06日

武田氏研究と武田氏関係文書

甲斐武田氏では武田信玄が江戸時代から近代にかけて『甲陽軍鑑』の流行により一般においても広く知られ、地元においては郷土史の象徴的人物と位置づけられいった。明治期には郷土史家により勤皇家や郷土の英雄として信玄像を位置づけることを目的とする研究や、戦史中心の研究が行われていた。昭和初年には『甲斐史料集成』や『甲斐叢書』が刊行され、山梨郷土研究会も発足し実証的研究がスタートした。

戦後には昭和30年代から研究が活発化し、信玄期以前においても『吾妻鏡』の史料批判による鎌倉時代の研究や、南北朝・室町期の研究も行われた。信玄期においては奥野高広や磯貝正義、上野晴朗らの実証的評伝が発表された。

また、『勝山記』など新史料も発見や史料刊行が進み、昭和62年には武田氏研究会が発足する。武田氏館など考古学的な発掘調査も進み、信玄期以外にも前代の信虎期や後代の勝頼期へも視点が向けられるようになった。現在では社会経済史的視点からの研究や戦国大名武田氏の権力構造の解明、家臣団の個別研究のほか、財政や治水事業、軍事や外交、交通や都市問題、商職人支配や郷村支配、宗教など各分野における実証的研究や民俗学的アプローチなど研究の地平が広っている。

一方で、網野善彦はこうした武田氏や甲斐源氏中心の研究に対して甲斐中世史において他氏族の果たした役割を強調し、武田氏以外の氏族研究の必要性を主張している。

また、武田氏研究と平行して武田氏関係文書の編纂も行われている。武田氏は宗家が滅亡しているため家伝文書が散逸しており写本や影印本のみで知られるものも多いが、現在では3300点余りの文書が知られている。古くは江戸時代に幕府が編纂した『諸州古文書』において甲斐の古文書調査が行われており、甲斐国の総合地誌として編纂された『甲斐国志』では武田氏関係の記述は『甲陽軍鑑』がベースとなっているが編纂に伴う古文書調査は行われており、これらに収録されている文書には現在原本が確認できないものも多く含まれている。

実証的な武田氏研究が本格化した昭和戦後期には武田氏関係文書集の刊行も行われ、1966年には『甲府市史』の編纂に際して『甲府市史史料目録』に「甲斐武田氏文書目録」が含まれ、1969年には荻野三七彦・柴辻俊六により『新編甲州古文書』が刊行された。その後も新出文書の増加や無年号文書の検討作業が進捗し『山梨県史』編纂事業のスタートに伴い総合的な史料調査も行われ、現在では柴辻俊六・黒田基樹『戦国遺文』武田氏編や『山梨県史』資料編中世において集成されている。
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武田氏関係文書の特徴として、文書の多くは戦国期に武田氏の拡大領国が確立した信玄・勝頼期に集中し、信虎期以前のものが極端に少ないことが指摘されている。また、信玄・勝頼期でも当主以外の武田一族の文書や家臣団関係の文書、在地支配に関する文書などは少なく、偽文書が多いことも指摘されている。

2009年04月23日

三温糖

三温糖(さんおんとう)とは、蔗糖を結晶させた砂糖の一種である。

製法は上白糖と同じであるが、製造工程の最後に結晶と分離させた製糖用糖蜜を再利用し、再び結晶させている。この結晶させる度に再三再四、糖蜜を加熱していることが「三温」という名の由来になっている。

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三温糖は数度の加熱によりカラメル成分が形成され、砂糖の結晶が黄みがかっている。また、一部の製品では上白糖にカラメルを添加したものも用いられている。しかし元から精製した糖を使っているため、成分的には上白糖と大差はない。

三温糖はカラメルなどの風味があるため上白糖より甘みが強く感じられ、風味を生かすため煮物などに使われることが多い。

三温糖については「他の砂糖に比べてミネラルが豊富で身体に良い」と思われがちで、実際に上白糖やグラニュー糖と比べたらミネラルは多いが、その差はほぼないといってもいいため、この説は間違いである。よって、栄養価は上白糖とほぼ変わらない。

なお砂糖を精製する前の粗糖を用いて作ったもので、赤砂糖(あかざとう)、ブラウンシュガー、きび砂糖(きびさとう)などの名称を付けられているものは、成分に糖蜜を含む事から三温糖は別種のものである。これらも「三温糖」と名付けられて流通している物もあるため混同されやすいが、食品の原材料名に「糖蜜」「原料糖」「粗糖」と記載されてあるかどうかで見分けることができる。

2009年04月19日

ティキヌスの戦い

ティキヌスの戦い(Battle of Ticinus)は、紀元前218年11月、イタリア半島北部のティキヌス川(現ティチーノ川)付近で行われた、第二次ポエニ戦争における最初の重要な戦い。ハンニバル率いるカルタゴ軍とプブリウス・コルネリウス・スキピオ率いる共和政ローマ軍が交戦し、カルタゴ軍が勝利した。

紀元前219年、カルタゴの将軍ハンニバルのサグントゥム(現:サグント)攻撃をきっかけに第二次ポエニ戦争が勃発した。紀元前218年5月、ハンニバルはイタリア本土へ侵攻するために北上を開始。ローマの元老院は執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオに2個軍団を与え、ハンニバルの前進を阻止するために海路でマッシリア(現:マルセイユ)へ派遣した。マッシリアに到着したスキピオは、偵察によってカルタゴ軍のローヌ川渡河を察知し、軍を率いてこれを追った。しかし、ローマ軍がローヌ川に到着した時には、カルタゴ軍は数日前に渡河を完了していた。スキピオは兄のグナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスに軍を預け、自身は本土でハンニバルを迎え撃つためイタリアへ帰還した。

9月、ハンニバルはアルプス山脈を越えてガリア・キサルピナに到着、現地のガリア人を徴募し、アルプス越えによって生じた損失を補填しようとした。しかし、徴募は予想以上にはかどらず、ハンニバルはローマ軍を撃破して力を誇示しなければ、現地部族を味方に引き入れることはできないと判断した。ローマに帰還したスキピオは、新たに動員した2個軍団を率いて北上、ハンニバルも敵を求めて南下していた。ティキヌス川(現:ティチーノ川)付近で両軍は接近し、互いに野営地を築いた。ハンニバルは騎兵を率いて偵察に向かい、一方のスキピオもウェリテス(軽装歩兵)と騎兵を率いて偵察に出ていた。偶然会敵した両軍は、そのまま戦闘に突入した。

この戦闘における両軍の戦力の詳細は不明であるが、おそらくカルタゴ軍は騎兵の全力で約6,000名、ローマ軍は騎兵とウェリテス(軽装歩兵)を合わせて約4,000名程度であろうと推測される。ハンニバルは両翼に精強なヌミディア騎兵を置き、中央にガリア・ヒスパニア騎兵を置いた。ローマ側は前面にウェリテスの戦列を並べ、その後方に騎兵を置いた。
メソッド ディスポ ワシン ナギイ 十字星 ケルセ ロービ はつい バナナの涙 鹿鳴つまみ 延暦 スーパー ハリケーン ノンブル タイム メラネシア メラルド スタンバイ ダイク スパン バックナ きゃべつ マスアミ ジャテラ ローフ レクイエム がいがん トリプシ リップ ハーピー ドラス ハゲイ トッカ リグナビ ハット チューリ ランド フラック ツンドラ せろりあ サフ たぬきじる め組最 エスキナ パスモ かたしな レジューム プラン オーバ ソビエト


カルタゴ軍の騎兵が突撃すると、ローマ軍軽装歩兵はピルム(投げ槍)を投擲した。しかし、カルタゴ軍の前進を阻止できず、逆に突入されて歩兵戦列は乱れ、またたくまに壊走した。続いてカルタゴ騎兵とローマ騎兵の交戦が始まった。もとより、ローマ軍は数で劣っており、次第に圧倒されだした。両翼のヌミディア騎兵が早々にローマ騎兵両翼を撃破し、ローマ軍中央は包囲されそうになった。さらにスキピオもカルタゴ騎兵によって負傷させられたため、ローマ軍は野営地まで撤退した。

なお、負傷したスキピオを包囲下から救い出したのは、リグリア人の奴隷という説と、息子プブリウス(後のスキピオ・アフリカヌス)という説が存在する。ただし、後者はスキピオ・アフリカヌスの偉大さを顕彰するための創作ではないかと考えられている。

この戦いは偵察部隊同士の遭遇戦であり、互いに大きな損害を出したわけではなかった。しかし、ハンニバルのローマに対する初勝利という点で十分な宣伝効果があった。この戦い以降、現地兵の徴募が円滑に進むようになったのである。さらにローマ軍内のガリア兵2,200名が脱走して、カルタゴ軍に合流した。この結果、カルタゴ軍は約40,000名まで増加した。ただし、この時点では全ての現地部族が味方になったわけではなく、ガリア・キサルピナでもポー川以南の部族は依然としてローマを支持していた。彼らを味方にするため、また、最終的勝利に不可欠なローマ同盟諸都市の離反を誘うためにも、ハンニバルはより大きな勝利を挙げる必要があった。それゆえ、彼は積極的に決戦を求め、ローマ野戦軍の壊滅を狙った。以降のハンニバルの行動は、こうした基本戦略に基づいている。

一方、スキピオは軍をピアチェンツァまで後退させ、その後トレビア川以南まで後退させた。スキピオはカルタゴ軍の戦力を侮れないものと考え、同僚の執政官ティトゥス・センプロニウス・ロングスと合流して、万全の態勢でこれを迎え撃とうとしたのである。両軍はトレビア川を挟んで対峙し、続くトレビアの戦いに臨むこととなった。

2009年04月04日

拍車(はくしゃ)

拍車(はくしゃ)とは、馬術において脚扶助による騎手から馬への推進の合図(扶助)を強化する副扶助のための道具である。馬に苦痛を与えるための懲罰の道具ではない。

靴のかかとの部分に装着する。乗馬用の靴(多くは長靴)にはかかとの上に拍車置きと呼ばれる突起があり、細いベルトで固定される。

形状によって棒状の突起(柄、枝、棒)を持つ「棒拍」と、西部劇などでよく見られる円盤状の「輪拍」などがある。 棒拍の中でも先端が平面のもの、球面のものなどの違いがあり、輪拍では円盤にギザギザがあるものとないものの違いがある。 突起の長さも1センチ程度のものから4センチ程度のものまである。 突起が下向きに湾曲していたり、突起の先端が丸まっていたりする方が、馬への当たりが優しいので、拍車の効きは穏やかとなる。 最近では突起のついていない擬似拍車や先端部の取替えが可能な拍車も販売されている。

馬によっては拍車によって興奮状態になってしまうので、拍車をつけない方が良い場合がある。

拍車による扶助も刺激の一種であるから、こればかりに頼り常に拍車を入れていては、馬も刺激に慣れてしまい、ついには脚扶助への反応が得られなくなってしまう。

江戸時代までの日本の馬術においては、鋳鉄製の鐙のかかと付近の突起を拍車として使い、アメリカ大陸の先住民は、尖らせた鹿などの角 (つの) の一部を足に縛り付けて利用していた。

「拍車をかける」という慣用句は馬に限らず、物事の進行を加速させる意味で使われる。

中世ヨーロッパでは剣と共に騎士の象徴であり、騎士となる若者には騎士叙任式の際に授けられていた。

馬術競技会における拍車 [編集]
馬場馬術競技においては、初級人馬向け競技を除き、拍車の着用は必須である。

拍車は金属製でなければならない。拍車の柄(shank)は下方に湾曲しているものであれ真直のものであれ、騎手の長靴に装着された状態で、拍車の中央からまっすぐ後ろを指すものでなければならない。拍車の腕(arms)はなめらかであり、とがっていてはならない。もし輪拍が用いられる場合は、輪の部分がなめらかでとがっていないものであり、かつ自由に回転するものでなければならない。金属製の拍車に、硬質プラスチック製の先端(knobs)をつけた「インパルス(Implus)」拍車の使用は認められる。柄のない「擬似(Dummy)」拍車の使用は認められる[1]。

^ 国際馬術連盟『Rules for Dressage Events』22nd Edition、Article 427.3

競馬における拍車 [編集]
競馬においても拍車は使用されているが、現代の競馬では、騎乗姿勢が鐙が短いモンキー姿勢となったため、使用してもゼッケンに当たることが多く、効果は疑問である。 日本では、競馬法の規定によって、先端の刺輪を特に鋭利にしたり、突起部分を内側に向けることが禁じられているが、使用自体の制限はされていない。 海外では、拍車は馬体を傷つけるものとの認識があり、平地競走では使用を禁止している国が多く、許可している国についても、アプレンティス(見習騎手)の使用は禁止している。 競馬関係の国際会議においても、拍車の使用は障害競走に限定すべきとの議論が大勢を占めているため、平地競馬における使用は、将来的には禁止されるものと思われる。

キンキ ツバター 夜の足音 きこう シーメー ミーンズ シャーク ニュピ 新秋柿 チャー インス 線香花火 オーピ スチーマー トレッチ ふくいく リバティプ リトミック ターメ スピーカー ノーシャ パラフィン ルコウソウ パルサー ギニョー ホウセン フォー ウォー でらいと ケット おおわ ハック バンクス レンテン ナンバー ゆうな トロイ パルテ フェースオ ゼラチン シャク ステレオ アーム マウンド ミゼラブル マインド スイング じょうめ メタリック 浦島太郎

2009年03月20日

環状列石52号の調査成果

環状列石52号は、遺跡の北東端に位置し、もっとも近い遺構から120m離れた場所に位置する。この環状列石は直径3m50cmを測り、12個の列石で構成されている。そしてさかさのようになった「墓標」が印象的である。「墓標」の石は1m90cmあって環状列石から東側へ1m50cm離れた位置に建てられていたが、現在では三つの石塊のようになって壊されており、おそらく破壊されて放棄されたものと考えられる。 発掘調査に当たっては、環状列石を9m×9mの81?で、4区分に分けて調査区を設定し、内側と外側の両方にトレンチを入れた。こわされた墓標に近い北東区から6つの容器がまとまって出土した。環状列石の内側は2/3が発掘調査され、残りの1/3は土層観察(セクション図)作成のために残された。発掘調査にあたっては、人為的な痕跡が消失する1m80cmまで掘り下げられた。その結果、深さ1m50cmの層位まで掘り下げて2箇所の埋葬があらたに発見された。

埋葬1号は、深さ1m10cmから1m40cmの位置で発見された。南北1m80cm、東西1mの楕円形に遺体の骨が集められている。位置としては環状列石の中央部に位置する。この埋葬は2次的なものであり少なくとも三つの頭蓋骨がたくさんの長い骨といっしょに埋葬されている。もしかしたらこれらの骨は実際に三体分の埋葬であって三つの頭蓋骨はそのことを表している可能性がある。頭蓋骨のうちあるものは、真ん中に置かれて、取り囲むように鉄製の副葬品を伴っている。ふたつの鉄製の槍先、一つの短刀、ふたつの腕輪がある。ふたつのビーズがみられ、ひとつは青っぽいガラスでもうひとつは紅玉髄であって、副葬品にするために加工されたものである。

埋葬2号は、深さ80cmから90cmの位置で確認され、東西1m40cmで幅1mという細長い形に骨が集められている。この埋葬もやはり環状列石の中央部に位置していて全体としては長いたくさんの骨とひとつの頭蓋骨で構成される。副葬品として、帆立貝の殻、青い半透明のビーズ、鉄製の槍先と矢じりとが発見されている。鉄製の矢じりは、頭蓋骨に打ち込まれたような状態であり、もしかしたらこの被葬者は、いけにえとして備えられたということなのかもしれない。


「高貴なる戦士の墓」SN-03-T-01号墓 [編集]
SN-03-T-01号墓は、Sine Ngayèneの墓域の中央部にあって二重の環状列石から数十メートル程の位置にある。黄色味がかった灰色の砂を含んだ粘土層が盛り上がった形状をしていて直径は10.5mである。発掘調査を墳丘を四分割して南東区と北西区を掘り下げ、中央部に4m×4mのサブトレンチを設定して行った。墓の覆土には沖積土を思わせる色調はみられず、中央部が一世帯分の墓になっていること、全体的に1m80cmよりは掘り下げていないことが判明した。南北の軸で半裁したところ、南へ3mほど寄った状態は重要な意味があるのかもしれない。南北方向に60cm、東西方向に40cmの範囲で焼かれて熱を受けていた。

同じように南北に半裁されていた面をみると、遺体に伴って土器片が濃密に集中していた。墳墓の中心にあって深さ2mの位置にある墓は、頭蓋骨が発掘区として設定した東西、南北の軸の交点にあたる場所から発見された。もっとも古い時期にあたる被葬者の遺体で、仰臥伸展葬[17]の状態で埋葬されていた。上半身は東西方向を向いていて、両足は西南西-東北東の方向へ向いていた。骨盤、胸部のあばら骨、背骨の個々の骨は、保存状態が悪かった。頭蓋骨はいくぶんか高い位置におかれ顔は西を向いて左に傾けられていた。両足は平行にまっすぐ伸ばされ、両腕は両方のわき腹に対して軽く曲げられている。

副葬品の主なものは、繊細で優美な銅ないし銅の合金を用いた円錐を底面であわせ全体として横からはひし形に見えるペンダントのついた首輪、骨盤のそばの位置で、右肩から胸を交差してするさやに収められていたであろう短剣があった。それぞれ0.25m?0.45mあって、全体で8つある鉄製の槍先は、左の肩の高さにあわせて上半身に並行にならべられた。左の大腿骨のそばには、指揮官の地位にある高位の人物が用いる「指揮杖」の先端部分を入れたと思われる鉄製の筒が骨と同じ長さで置かれていた。 そのほか銅製のベルトと思われる輪のようなもの、両足のくるぶしに着けられた鉄製の鈴である。このような豪華な副葬品は墓の被葬者が権威ある地位にある戦士階級に属する人物であることを示している。


「高貴なる女主人の墓」?SN-03-T-02号墓 [編集]
SN-03-T-02号墓は、遺跡の中央部に位置し、二重の環状列石の西側100m以内の場所に位置する。黄色みがかかった灰色の砂質の粘土でやや盛り上がっているので目立つ遺構である。直径11m近い規模である。 底辺11m、高さ5mの三角形の調査区が設定され、発掘調査が行われ、さらに墓の中央部に2m×2mの調査区が設定されて調査が行われた。発掘調査は、墓の西半分を深さ180cmまで掘り下げて行われた。墓の中央部の発掘調査を行ったところ、深さ80?90cmの位置で、やや北側に偏った位置に非常に保存状態の悪い被葬者の骨格が確認された。骨盤や手首から手のひら、足首から足の骨、胸部の骨はあるが、腕や足の長い部分の骨は喪われていた。頭蓋骨は、粉末状の塊になっており、その痕跡の形からその位置に頭蓋骨があったことがわかるといった状況であった。この被葬者は、東西方向で左を向いた横向きの状態で、両腕をやや折りたたむように曲げて両足も曲げた状態で埋葬されていた。しかしながら、副葬品はおもいのほか豪華で目をみはらせるものであった。

左腕にある八つの銅製または、銅の合金による腕輪
右腕には細長くしたそろばんの玉の[18]ような銅製または銅の合金製のブレスレッドがあった。
左のくるぶしには銅製ないし銅の合金製の足環がつけられていた。
さらに酸化銅によって良好に保存されて、魚の背骨で造られた足環も残っていた。
この人物の墓の場合、鉄製の副葬品がないのが非常に特徴的である。

SN-03-T-02号墓は、前提となる埋葬の方式や変遷過程がSN-03-T-01号墓によく似ているが、墓坑の深さ自体は浅い。南北の軸に火による熱を受けた痕跡はないが、まだ発掘調査が行われていない部分については保存状態がよいと思われる。実際のところSN-03-T-01号墓とSN-03-T-02号墓は、墓の中心に対してほぼ対照的な位置にあり、一方が他方と相補的な関係か、反射し合うような関係にあるように思われる。副葬品の特徴や墓の配置から、SN-03-T-02号墓の被葬者が女性であると考えることも可能である。しかし、反論する材料が何もない一方で、被葬者が女性であるという確固たるデータの裏付けもない。また、副葬品という物質的に限られたものと墓の配置という限られた特徴からの推定であるので、実際に副葬品に両義性や多義性といったものがあるのかどうか検証されなければならない。ただ、SN-03-T-01号墓は、最高位の権威ある高貴な戦士であって、SN-03-T-02号墓は、高い身分の女主人であると考えるのは魅力的な説であるのは間違いない。


「儀礼的空間」SN-03 [編集]
「儀礼的空間」SN-03は、Sine Ngayéne の墓域の中央、環状列石27号とSN-03-T-02号墓の間に位置し、一ヶ所だけ墓標のような石が連続している場所があるほかは、SN-03-T-01号墓やSN-03-T-02号墓とことなり、一見ラテライトの岩のかたまりがただ単に散乱しているように見える場所である。2003年に、Augustin F.C. Hollらによって発掘調査がおこなわれた。発掘調査区は、南北5m、東西3mの15平方メートルに設定された。発掘調査は、1.25mの距離で、南北の軸に沿って並んでいる小さめの立石の周囲をつなげるように行われた。南北の立石は壊されてふたつの石塊になっていることと、北側の立石はおそらく原位置を保っていることが発掘調査でわかってきた。また「儀礼的空間」は二つの立石を伴う基壇であり二期にわたって構築されていることが判明した。

第一期は地表から深さ50?70cmの位置であり主軸方位が南西方向を向いたラテライトの石塊で長径1.2m、短径1m楕円形に築かれた基壇で高さは60cmである。その南側につぶれた大甕が位置する。甕は原位置でつぶされ、破片が南西北東方向に1m、南北方向に1.5mの範囲で散乱している。胎土が赤茶けているので赤い帯のように見える。東側中央に直径20cmの石囲炉がラテライトの石塊を横倒しにしてつくられている。ラテライトの石塊で壁を敷き詰め、確認面にて幅80cm、底部で幅60cm、深さ20cmの砂の充填された穴が東側中央でも北寄りに造られる。このような遺構は他には見当たらない。
ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ

第二期は、地表から深さ20?30cmの位置であり、三つの小石で積み重ねられた基壇が検出された。一つ目は、2m20cmが地表に露出し、北側に立石がたてられている。もうひとつは、3m60cmあって南西方向に向いている楕円形で地表には1m60cmまで露出している。三つ目の基壇は、儀礼的空間の北端部に位置し、主軸方位を北東に向け、長さ70cmに対し幅30cmである。そして三つの土器が取り囲むように置かれた。

この空間で行われたのは葬送儀礼なのかそれともほかの性格の儀礼なのか、あるいは何のために解放された空間なのか、この空間で儀礼をおこなった人物がどのような地位にあったのかは今のところ全く不明であって、何らかの儀礼がおこなわれた空間であるとしかいうことができない。

2009年03月05日

ヴァン神族

ヴァン神族(ヴァンしんぞく、古ノルド語:Vanr ヴァンル、複数形:Vanir ヴァニル、ヴァナ神族とも)とは、北欧神話に登場する一群の神々である。豊穣と平和をつかさどる。ニョルズ、フレイ、フレイヤが所属していた神族である。

神話では美麗な巨人族[1]としてしばしば巨人族と混同される。

時に彼らは「賢いヴァン神族」と呼ばれる。 『古エッダ』の『シグルドリーヴァの言葉』第18節には、彫られたルーン文字が削り取られて運ばれ、それを「賢いヴァン神族も持っている」と語られている。 また、同『スリュムの歌』第15節において、アース神族の1人ヘイムダルが「彼はヴァン神族と同じように未来がわかる」と語られている。

ヴァン神族の住む国はヴァナヘイムといわれている。

所属する神々としては、ヴァン神族とアース神族の抗争終了後に人質としてアースガルズに送り出されたニョルズ、フレイ、フレイヤ父子がまず挙げられる。

『古エッダ』の『巫女の予言』においてこの抗争の原因を作ったとされる女性グルヴェイグも、おそらくヴァン神族である。ただし彼女はフレイヤと同一人物とも考えられている。

アース神族側から人質として送られたヘーニルとミーミルのうち、ヘーニルについてはそのままヴァナヘイムに留まっているとも思われるが、はっきりしていない。

『ユングリング家のサガ』の記述によると、アース神族が送ってきた人質ミーミルが大変賢い人物であったことから、さらにヴァン神族の賢い神クヴァシルを先方に送り出している。この文献ではクヴァシルはヴァン神族の一員だったということになる。

アース神族との関係
彼らがアース神族のもとへグルヴェイグ(名前の意味は「黄金の力」)という女を送り込んだことが、二つの神族の抗争の原因となったといわれている。『巫女の予言』には、彼女の使う魔法「セイズ」が悪い女達を悦ばせたこと、アース神族が彼女を槍で突いたり火で焼いたりしても三度甦ったこと、主神オーディンが槍を投げたことで始まった戦いが世界最初の戦争であったとことが書かれている。

『スノッリのエッダ』第二部『詩語法』では、アース神族との抗争が終わり和解するときに、その記念として、両神族全員が一つの器に唾液を吐き入れた。その和平の証を消滅させないために、唾液に人間の形を与え、クヴァシルという非常に賢い人物を作り出した。クヴァシルが答えられない質問は皆無であったと語られている。

また『ユングリング家のサガ』によると、前述のニョルズらを人質に出すが、交換でアース神族が送ってきた人質のヘーニルが期待したような人物でなかったため不満を感じ、人質のもう一人、ミーミルの頭を切り落としてアース神族の国へ送り返した。オーディンは、首が腐らないように薬草をつけて保存し、ミーミルが話せるようになるまで呪を唱えて、「ミーミルの首」を生成した。

アース神族についてはラグナロクでの運命が語られるが、ヴァン神族については、ニョルズが彼らの元へ帰るという記述が『古エッダ』の『ヴァフスルードニルの歌』にみられるものの、他の神々がどのような運命をたどったかは不明である。

同じ神でありながらアース神族とは名詞の言い方も異なる。『古エッダ』の『アルヴィースの歌』で、次のような名詞の差異が紹介されている(『エッダ 古代北欧歌謡集』98-102頁 による)

大地
アース「フォルド(原)」、ヴァン「ヴェグ(道)」

アース「フリュールニル(星のまきちらされたるもの)」、ヴァン「ヴィンドオヴニル(風を織るもの)」

アース「シーレーギャ(あまねくみなぎる潮)」、ヴァン「ヴァーグ(波立つ潮)」

アース「フニ(焔)」、ヴァン「ヴァグ(ゆらめくもの)」

アース「ヴァラルファクス(原野の鬣)」、ヴァン「ヴェンド(藪)」
ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト

妖精との関係
エッダ詩はおそらくヴァン神族を妖精と同一視している。『古エッダ』の『スキールニルの歌』、『ロキの口論』、『グリームニルの歌』などに「アース神族と妖精」という表現があるが、これは「アース神族とヴァン神族」に置換できる表現であり、実際は「すべての神」を意味している。

ヴァン神族も妖精も豊穣の力を備えていることもあり、この互換性はヴァン神族と妖精が実は同じ存在である可能性を示唆する。

ヴァン神族が多くの信仰を集めた豊穣神群であったのに対し、妖精は個人の守り神的な豊穣神であった。名前の違いは地位の違いを反映したということでもあるかもしれない。

妖精とヴァン神族が同一だとすれば、フレイがヴァン神ながらアルフヘイムの妖精を支配するとされているのは自然なことである。

2009年02月13日

THE GOD OF DEATH

死神として覚醒した天才少年楠葉竜臥が、死神本来の力を取り戻すために、占拠した学園内にいる少女たちを 陵辱し、その魂を刈り取っていく。

聖上学園に通う天才少年楠葉竜臥は、ある日自分をマスターと呼ぶ、ミズチと名乗る謎の少女に出会う。その少女は、 竜臥は天上の神々に戦いを挑み、敗れた死神リューガの生まれ変わりなのだと彼に伝える。その後彼は、不良のリーダーである西崎晴男を味方につけ、学園を占拠。そしてその中に残された少女達を捕獲、陵辱し、その魂を刈り取っていく。力を取り戻し、天上の神々に復讐するために……
いしか ネーブル すたーふる リンホ オペミ 人気ツル タルク ガバナンス 二人のロ フォレ ギロチン トンコツ なか ダンス エベント タクティ タシケント バトンタ ポンプ グルーピー ツァイ ティッ フラット オーソ カルソ ラングド テニス ルチンスク プレーバコ とんだばや ピラカンサ パートタイ コネク ディア ミニチュア ラミア ルクソール ドアロック キンモ ビッグベン のあや フロイト リリー ビッグ ケワキ ハープ レンブ ビーエス ノッチ ロック

楠葉竜臥
この物語の主人公。普段は聖上学園に通う普通の天才学生だが、それは仮の姿に過ぎず、本当は天上の神々に戦いを挑み敗れた死神リューガの生まれ変わりである。秩序と平和を何より嫌い、世界を絶望が支配する世界に変えるのが目的である。
秋坂なつき/声:羽月優名
竜臥の幼馴染であり恋人。彼が死神として覚醒する前は、彼を相当慕っており、周りもお似合いの二人だと認めるほどであったにも関わらず、彼の毒牙に掛けられることとなった。
楠葉舞/声:天天
竜臥の実の妹。普通の可愛らしい少女と思われがちだが、実はいじめっ子の一面を持ち、朝岡ちえり等をターゲットにしていたようである。ゲームの進め方によっては、竜臥の従者として覚醒する。
藤沢弥生/声:しまだかおり
竜臥の同級生。保険委員を務めている。花を愛する優しい性格。虫が大嫌いであり、見たら悲鳴を上げるほどである。
天野美冬/声:紬叶慧
竜臥の同級生。学級委員を務める。生真面目な性格だが、小動物を愛する一面も持つ。
草薙みさき/声:百花ルナ
竜臥の後輩。活発で明るい性格。「みさきっく」という蹴り技を持つが、いざとなると弱い。オタクの蔵木を毛嫌いしていたようである。ゆうという双子の兄がおり、彼女とは違って気弱な性格。
相田ゆずか/声:鷹見幸恵
聖上学園の古典の教師。おっとりした性格である。
西園寺綾音/声:森山葵
古泉総理大臣の隠し子。聖上学園の生徒ではないが、竜臥の思い付きにより学園に呼び出され、捕らえられる。気が強く、凛とした態度の持ち主である。竜臥の兄、虎樹に密かに思いを寄せる。
発表当初の設定では「西九条綾音」という名前だった(『悪夢 -青い果実の散花-』に登場した紫音と同姓だが関係性は不明)。
双葉アキラ/声:杏露花梨
竜臥の後輩。ボーイッシュな性格で、みさきと仲がいい。蛇が大の苦手。
発表当初は「双葉チカ」という名前でプロレスファンという設定だった。
朝岡ちえり/声:ひかり
竜臥の後輩。かなり気弱な性格のいじめられっ子。極度の潔癖症の持ち主。舞にいじめられており、進行によってはその凄まじい復讐の様子を見ることができる。
西崎晴男/声:新田祐一
竜臥の同級生。学園の不良達のリーダー的存在のワル。竜臥の手助けをし、学園を占拠した。蔵木を「キモ(デブ)オタ」と呼び、いびっていた。「パンク」という言葉が好きである。物語終盤、特殊部隊の凶弾に撃たれ死亡。
蔵木秀臣/声:三球児
竜臥の同級生。オタクであり、クラスの皆から嫌われている。元々竜臥達の仲間ではなかったが、目を付けた竜臥が引き入れ、仲間となる。フィギュア作りが生きがいで、武器などの知識も豊富。「?なんだな」が口癖。自分のコレクションの中から猫耳等を出す。物語終盤、特殊部隊に体当たりし、自爆。
楠葉虎樹/声:森川明大
竜臥の実の兄である。東大出のキャリア警部。
ミズチ/声:高原くくる
竜臥の従者の一人。小柄な少女の体をしているが、その正体は竜臥の持つ大鎌であり、竜臥が魂を刈り取る際にそれに姿を変える。尚、主人公達が使っていた武器等は、彼女が米軍から盗み出したものである。
カグツチ/声:甘美
竜臥の従者の一人。全長が2メートルほどの巨人。怪力を持ち、人間などいともたやすくねじ伏せる。また、召喚後すぐ戦闘に参加した後は、闘争本能を性行為で鎮める必要がある。
ミカヅチ/声:加古川高
竜臥の従者の一人。細身の紳士風の風貌で、竜臥に執事のような恭しさで接する。時空を捻じ曲げ、そこから異形の物を召喚することができるようである。また、趣味と称して周辺の小動物等に細工を施したり、様々な趣向を凝らした「小道具」を作って、竜臥に差し出したりしている。

2009年01月27日

J-8II (航空機)

J-8II(殲撃八型II、Jian-8II、?-8II)は、中華人民共和国で開発された戦闘機である。NATOコードネームは「フィンバックB」(Finback-B)。輸出名は、F-8II。

J-8の発展型で、J-8と同様に瀋陽の第601航空機設計所によって設計、瀋陽航空廠(SAF:Shenyang Aircraft Factory、現在の瀋陽航空機工業(SAC))によって製造された。

不十分な性能であったJ-8の改良型として1982年より開発が開始され、1984年に初飛行に成功した。機首のエアインテークを機体側面に移動し、ショックコーンを大型化した。外観の大きな変更点は他にはないが、これによって印象は大きく異なるものとなっている。

MiG-21(J-7)と同じエンジンを双発にしたという意味で、Su-15と同じであり、しばしば比較される。機体構成は全面的にSu-15初期型を真似したものと評価されている。また、空気取り入れ口の形態などから、Su-15やMiG-23同様アメリカ合衆国のF-4 ファントムIIなども参考にされたと見られている。

当初、性能に難があったレーダーを装備していたが、アメリカの協力によりF-16Aと同じAN/APG-66と交換する前提で製造が開始された。しかし、天安門事件により、計画中止となったため、国産レーダー装備のJ-8B、空中給油機からの受油機構を組み込んだJ-8Dへと発展した。この過程においても、有視界外戦闘能力は他国の第四世代機と比べると劣るものだった。

1996年、輸出向けに公開された機体が、F-8IIMである。ロシア製レーダーによってR-27中距離空対空ミサイルとKh-31対艦ミサイルを運用可能としていた。顧客を得ることは出来なかったものの、この経験により改良型のJ-8H/Fが開発されることとなった。J-8Hには、新型のレーダーとエンジンが、その後に開発されたJ-8Fにはグラスコックピットとさらに改良されたエンジンが搭載され、J-8Fは中距離空対空ミサイルの試射に成功している。両機種とも、Q-5の後継機として配備された。
ターラン ジープ 指相撲 ギスタン ピアサ ネンタケ リーズ ろくめい レヤイ モルタ つちいろ ダム最適 スモークン シンク ランス スキャッ テヘラ プロケド キックバ バングル シングル ジェルボア ロフト カッサバ ネーズ ロース あわゆ マイド スローキ くわがた ナノマ ミネラル イミテー 桃一郎 ノット マップマット すくね ロール ウォッチ オードュ イズム スタン トレー ドラッスト トラフ ハインド シナサ ジット 邪馬台国 エッフェル

2001年4月1日、海南島事件にてアメリカ空軍のEP-3Eと衝突した機体が、このJ-8II(J-8D)であるが、しばしば輸出型名称F-8IIからIIを除き、単にF-8として報道された。そのため、日本のテレビ報道ではアメリカ製のF-8戦闘機の画像が流されるなどの混乱も見られた。
翼幅:9.34 m
全長:21.52 m
全高:5.4 m
空虚重量:9,240 kg
最大離陸重量:17,800 kg
最大搭載重量:13,850 kg
エンジン:渦噴13A2ターボジェットエンジン 2基
推力(アフターバーナー未使用):8,600 kg/s
推力(アフターバーナー使用):13,000 kg/s
最高速度:マッハ 2.2 (2340 km/h)
最大上昇力:12,000 m/min
実用飛行上限高度:20,000 m
乗員:1名
戦闘行動半径:800km
巡航行動半径:1,300km
最大航続距離:2,200km
巡航速度 800 mph / 1,300 km/h
固定武装:23 mm機関砲 1門
武装:PL-5、PL-8、爆弾、ロケット弾、増槽
上記スペックは、主に[1]によるが、巡航速度が音速を超えている、同じエンジンを同じ基数搭載した、一回り大きな機体であるSu-15に比して航続距離が大きいなど、正確性に疑問がある。

派生型
J-8II:最初の量産型。天安門事件の影響で、生産数は僅かである。
J-8B:レーダー強化型、渦噴13A2エンジンに換装。
J-8D:J-8Bの近代化型。受油機構を装備し、航法装置を更新。既存機の改修。
J-8III:J-8C、新型エンジンとフライ・バイ・ワイヤ採用も、試験機のみに終わる。
J-8IIACT:フライ・バイ・ワイヤ試験機。
F-8IIM:輸出型。不採用。
J-8H:新型レーダーと渦噴13Bエンジンを搭載した改良型。
J-8F:グラスコックピットと渦噴13B2エンジンを搭載した改良型